ゴンタ                気ままな日記です。


by gonta_i
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by gonta_i | 2006-01-28 14:32 | インドネシア
今日、約一ヶ月続いたラマダン月(断食月)が明けました。ムスリム(イスラーム教徒)の人たちが待ちに待ったであろうレバラン(断食月明け大祭)です。

レバランの雰囲気を体験するために目黒にある、インドネシア学校(バライ・インドネシア)に朝から行ってきました。関東一円にすむインドネシア人ムスリムが一同に会したので、会場となった学校は人でごった返していました。
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by gonta_i | 2005-11-03 23:57 | インドネシア

アチェ・カレー

食べました。
都内某所にて。
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アチェの伝統的な料理には、微量の大麻成分が含まれているという。
このカレーはアチェから届いたスパイスを使ったと聞いたが、その成分が入っているかどうかは分からない。
ま、入っていたとしても、ごく微量だろうから問題ないだろうが。

アチェ料理といえば、スマトラを旅行した時に食べた激辛・アチェ麺(Mie Aceh)の強烈な思い出がある。
アチェの南に境を接している北スマトラ州・州都のメダンを訪れたときのこと。夕方、安宿を出て近くの屋台をぶらぶらしていた。数々の屋台のなかで、真っ赤な色の麺を出している店があったので、興味本位からここで空腹を満たすことにした。
しかし、これが辛すぎてどうしようもなかった。この屋台のオヤジ(アチェ人)は「うまいだろ?」と聞き、ボクは「うん」と答えてしまったから、お残しするのも恥ずかしく我慢の限界ギリギリで片意地を張ってしまった。このときはなんとか平らげることができたが、その後も舌が1時間以上麻痺していた。

沢木耕太郎の『深夜特急2』で、主人公がマレーシアの夜の屋台で、同じような辛さの限界と闘う目に遭うというエピソードがあるのを思い出した。

ちなみに、アチェカレーを食べたのは今年の四月のこと。津波被害復興関係のイベントにて。携帯の写メの容量が飽和状態に達したので消していたら、この写真が出てきた。
このカレーの辛さは抑えてあった。ルーとご飯は別々の皿に盛るのだったが、ついいつものカレーを食べる習慣でご飯にルーをかけてしまった。おまけにらっきょを添えているから、上の写真はふつうのカレーとあまり見違いがないのである。
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by gonta_i | 2005-10-30 02:06 | インドネシア
これは、インドネシア語学習者のためのメーリングリスト。インドネシア語は他の人気のある言語に比べて、質の高い学習用メディアが発達しているとはいえない。そのなかで、異彩を放っているのがこれ。毎回、なるべく読むようにしている。
3年生ぐらいまでは、レベルが高くて読んでも分からないことが多かったが、最近になってやっと理解できるようになってきた。

今日送られてきた「インドネシア語の中庭」の第2話は、なかなかおもしい内容だったし、インドネシアの歴代大統領について最低限知っていればわかることなので紹介したい。ちなみに、この小話はインドネシア語とはあまり関わりがありません。
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>\w Indonesian Presidents' English (歴代大統領の英語)

>ACEID の編者 Alan Stevens のメーリングリスト Bahtera への書き込み,
"Indonesian Presidents' English" (10/4) を読むと,一番の達者はHabibie(ゴンタ注:ハビビ), 次いで Gus Dur(ゴンタ注:ワヒド大統領の愛称)。現ユドヨノ大統領は三番手。Megawati は評価外,ということらしい。

>I forgot to mention Suharto. Apparently he knows very little English. I never heard him but I got this from a friend who interpreted between Suharto and Clinton. As for Sukarno, I've always heard that his Dutch was better than his English or his Indonesian! But I have no evidence for that.
>初代大統領スカルノはオランダ時代の子,彼を追い落とした軍人スハルトは日本時代の子。当然の言語能力だろう。

>このスカルノの better than … his Indonesian! を読んで,サストラネガラ先生も,数詞は先ずオランダ語だとおっしゃっていたのを思い出した。南方特別留学生として来日,広島で原爆を体験された先生は,子供の頃,オランダ語を身につけるためにオランダ人の家庭に預けられたという経歴をお持ちだった。[Sg 10.8.05]

首脳会談のときなどにインドネシア語の通訳をする外務省の人の、こんな話を聞いたことがある。
大統領がスハルト、メガワティだったときは楽。なぜかというと、二人とも全く英語ができないから、インドネシア語だけでよい。大統領が英語もできると、こっちは用なしになるかもしれないし、訳のまずかった部分がばれてしまうかもしれないと冷や汗をかくとのこと。
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↑僕が使っているインドネシア語の辞書3冊を使用頻度順に並べてみました。
写真左上にある井上ひさしと中沢新一の本は今読んでます。読み終わったら感想を書きます。
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追記 2005-10-26:
「インドネシア語中庭ノート」がmelma!blogからExblogに移動しているのを発見。
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by gonta_i | 2005-10-15 23:41 | インドネシア

今日、ラマダン入り

今日からラマダン(断食月)です。

インドネシアのラマダン明け大祭、すなわちイドゥル・フィトゥリは
11月3日か4日とのこと。イスラーム新年は1426年です。
(参考:「じゃかるた新聞」の「2005年インドネシアの祝日」)

今日から一ヶ月弱の間は、ムスリムの人たちは毎日日の出から日の入りまで何も口にしないことになっています。

上記の現地邦字紙「じゃかるた新聞」には、「断食月の主な注意事項」として以下の項目が挙げられていました。ボクはインドネシア(あるいはイスラーム圏)に長期滞在したことはないけれど、↓を読んでなるほどなあと思わされました。

 ・断食を行っている人の前で公然と飲食をするなどの行為は避ける
 ・インドネシア人従業員の作業効率は低下するが、いらいらしないことが肝要
 ・断食期間に入ってから1週間から10日くらいが最も苦しい時期だと言われる。風邪や胃潰瘍などが流行るといわれ、注意が必要。病人、月経中の女性、妊婦、子ども、旅行者などについては免除または禁止されている。
 ・ムスリムを招く昼食会はなるべく避ける。夕方6時以降の夕食接待はむしろ喜ばれることが多い
 ・睡眠時間が一般的に不足するため従業員の健康管理には注意する
 ・インドネシアの宗派(シャーフィー学派)は断食は個人と神との問題として考える傾向が強く、異教徒や他人への強制は行わないなど比較的寛容

インドネシアの友人たちにラマダン明け祝いの手紙(日本での年賀状のようなもの)を送らないといけない。今ぐらいに送っておかないと、ラマダン明けまでに届かないらしい。通常はジャワやバリなら東京から1週間くらいで届くが、この時期はラマダン明け祝いの手紙が殺到するとのこと。
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「シンガポール絵日記」よりトラックバックさせていただいた。
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by gonta_i | 2005-10-05 07:57 | インドネシア

バリ島で再び爆弾テロ

 再び追記: 2005-10-02, 8:50PM:
BBCによると、外国人を含む少なくとも26人が死亡(の見込み)、
100人以上が負傷したとのこと。
判明した17人の遺体の身元は、日本人1人、オーストラリア人2人、
インドネシア人14人。「第二のバリのテロ(Bom Bali Ⅱ)」という名称がつけられ始めている。


※ 追記: 2005-10-02,01:01AM:
テロによる死者は19人まで増加。負傷者はさらに多数出ている模様。
爆発があったのは、欧米などからの観光客が多い繁華街のクタ地区と海岸沿いのジンバラン地区。うち、1回は現地時間19:42(日本では20:42)頃、クタ、クタ・スクエアの3階建てのレストラン「Raja's」。あと2回は、ジンバラン地区の高級ホテル前で爆発した。
(情報源:http://www.detik.com/http://news.bbc.co.uk/2/hi/default.stm

※ 追記: 2005-10-02, 9:00PM現在では、インドネシアのテレビ局SCTVより、視聴者が撮っていた爆発の瞬間の映像が見られます。
手順は、「Penyandang Ransel Memasuki Kafe, Dan...Boom!」をクリック→画像の中の再生ボタン(右側)をクリック。
映像開始後1分後に爆発の瞬間が来ます。

BBCでも別の爆発瞬間の映像が見られます。手順は、こちらをクリック→トップ記事内の「Video:Tourist films blast」をクリック。

両方の映像に見る爆発はそれほど大きくはなさそう。

※ 現地発行の邦字新聞「じゃかるた新聞」http://www.jakartashimbun.com/の情報が日本語で読めるなかではいちばん詳しいです。
追記:2005-10-03,09:00AM時点で、このページは開かなくなっていました。

※ 以下、引用。
http://www.asahi.com/international/update/1001/015.html
バリ島で爆弾テロ、8人死亡 負傷者30人以上
 インドネシアの代表的観光地バリ島で1日午後7時半(日本時間同8時半)ごろ、2カ所でほぼ同時に爆発があり、外国人4人を含む少なくとも8人が死亡し、30人以上が負傷した。同国当局者は「明らかにテロリストによる爆弾テロだ」と断定した。ユドヨノ大統領もテロを非難、首都ジャカルタから現地に向かった。
 爆発があったのは、バリ島南部のジンバラン海岸とその近くのクタ地区の中心部。ジンバラン海岸はシーフード料理のレストランなどが集まり、観光客でにぎわう場所で、午後8時ごろ、数回爆発があり、欧米人の観光客3人が負傷し、地元住民に運ばれたのが目撃されたという。その約10分後、クタ地区のショッピングセンターでも、爆発があったという。 (中略)
 バリ島では02年10月、クタ地区の繁華街で爆弾テロがあり、ディスコの客ら200人以上が死亡している。東南アジアを地盤とするイスラム原理主義勢力のジェマー・イスラミア(JI)の幹部が首謀者として逮捕され、実刑判決を受けている。
 また、首都ジャカルタでも03年8月に米国系高級ホテルで、04年9月に豪大使館前で爆弾テロがあり、合わせて20人以上が死亡した。いずれもJIが関係していると捜査当局などはみている。 2005年10月01日23時23分

また起こってしまった。前回バリ島でテロ事件が起きたのは2002年9月12日。
あのときは、ボクはテロ発生10日前までバリにいた。

インドネシアでは、3年連続で、9月前後に、外国人を巻き込んだテロが起こっていたから、今年もありうるとは思っていた。
そして、もう忘れかけていた頃に起こった。しかも再びバリ島で。
これで、インドネシアでは外国人を狙って起きたテロが4年連続となった。

2003年8月にバリを再訪したとき、みやげ物屋やレストランの主人が、「バリはもう安全だ。」「われわれバリ人は安全に非常に気を配っているから、日本の友人にバリは安全だと伝えてほしい」、と話していたのが印象的であった。

そのときはバリに来る観光客の数がようやく回復し始めていたころだった。しかし、3年間で2回もテロが起これば、世界有数の観光地とはいえ、当分の間客足が遠のくのは避けられないだろう。
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by gonta_i | 2005-10-01 23:26 | インドネシア
きのうに引き続き「Google Earth」、
今日はインドネシアのいろいろな箇所を見た。

ここでは、そのなかで2つをピックアップしたい。
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まずは、昨年12月末のスマトラ沖地震・インド洋津波で大きな被害を被った、
アチェ(NAD)州・州都、バンダアチェの上空写真(写真をクリックすると拡大されます)。
青くなっている部分が、津波の被害を受けた地帯なのだろう。しかし、津波前の上空写真がないので、比較ができない。

次は森林破壊。下は、スマトラ島中部のマラッカ海峡沿岸上空の衛星写真(写真をクリックすると拡大されます)。
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写真右方に見える赤字の
Dumai(ドゥマイ)というまちを、2004年春に訪れたことがある。
シンガポールの対岸、バタム島(インドネシア領)から乗ったフェリーの終着地だったからだ。
ここはスマトラ最大の原油輸出港となっていて、多くのタンカーが沖に停泊していた。タンカーがあまりに大きく、自分の乗っていた高速フェリーが木の葉のように思えたくらいであった。ドゥマイの海岸沿いには、石油コンビナートが並んでいた(ズームアップすると、コンビナート群やタンカーも見えた)。

このときは、ドゥマイから乗り合いバスに乗って、内陸の町に向かった。
道沿いの光景は期待に反して、木を切り倒して開いた耕地や草地ばかりで、
まったく森林を見かけなかった。そのときからこの地方の熱帯雨林がまだ残っているのかが気になっていたが、内陸の熱帯雨林がかなり広い範囲にわたってなくなっているようである。

インドネシア国内では、他にもカリマンタン島中部の熱帯雨林が破壊されつつあるのが、よく見えた(バンジャルマシン北方)。パプア(イリアンジャヤ)州(ニューギニア島西半分)の森林は、ボクが見た限りでは、ほぼ緑一面であった。

緑の熱帯雨林が食いつぶされているように見えるのは、痛々しい。
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by gonta_i | 2005-09-26 01:20 | インドネシア

「ティエン」夫人?

(以下、インドネシアのマニアックな話なので、興味なければ次の記事へ飛んでください。)

きのうのA日新聞(2005年9月20日)・朝刊では、「週間アジア」という枠で、インドネシアの一夫多妻の動きについて、半ページほどのスペースを割いて特集していた。知らなかったことも書いており、興味深く読んだ。(その記事はこちら。)
しかし、
記事にでていた、スハルト元大統領の夫人の名前が間違っている。
もし今もご存命だったら、夫人はこう怒るでしょうね、「なんと失礼な。これはちょっと慰謝料もらわないといけないござんすね。A日新聞の売り上げのティン(10)パーセントほどでよろしいから。財団があるから、そこに寄付という形がよろしいござんすわ。」

「ティエン夫人」とググってみると、思ったよりもけっこうヒットするから、驚く。けっこうありがちなミスということなのかなぁ。
ま、A日は「記事捏造」で名高いですからね (失礼、少々傲慢でした)。

以上、超マイナーネタでしたm(_ _)m
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今は使われていない50,000ルピア札です。
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右から、故ティン夫人、スハルト、オランダ女王ベアトリックス、その夫、息子(皇太子)(1995-08-15)
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by gonta_i | 2005-09-21 14:42 | インドネシア

片雲の風にさそはれて

「片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、」
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芭蕉のことばだ。もう少し詳しくいえば、有名な『奥の細道』の冒頭部(序文)で、芭蕉が「ちぎれ雲が風に身をまかせ漂っているのを見ると、漂泊(=放浪)の思いを止めることができない」という気持ちを表している部分。僭越ながら、今の僕は、この思いを芭蕉とともにしている。

旅に生き、旅に死んだ男。
彼は50年で時間に殺されたが、声はいまだに生きている。

「さて、どちらへ行かう風がふく」(山頭火)

ああ、どこか旅に出たい、東南アジアに行きたい、インドネシアに行きたい

(冒頭の写真は、@インドネシア、スラウェシ島の某所。左がボク、その隣が仏文専攻で現在世界一周の旅にでているSくん。撮影者は同じ専攻で、現在インドネシアに留学中の友達。もらいものを使わせていただきました、感謝。)
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by gonta_i | 2005-09-20 10:17 | インドネシア

「アジアのキュビズム」

今日は勉強するぞ!と思っていたが、全然はかどらない。入試、卒論と間近に迫っているのに・・・

こんなときは、インドネシア人の友達のEさんが言っていた言葉が思い出される。

「たくさん勉強すれば、たくさん忘れる
すこし勉強すれば、すこし忘れる
なにも勉強しなかったら、忘れることはなにもない」

「だから勉強なんてしなくていいのよ!(Gonta)さん!」

・・・
ということで、昼からは、気分転換を兼ねて、前から行きたいと思っていた、「アジアのキュビズム:境界なき対話」という絵画作品展を見に東京国立近代美術館に行ってきた。
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 この前学校に顔を出してきたときに、先生から招待チケットをもらっていたからだ。

先ず、入ってすぐにキュビズムの祖といわれるピカソ(!あのピカソです)とジョルジュ・ブラック(この人は知らなかった)の作品が2枚展示してあって、度肝を抜かれた。そこにはキュビズムの説明書きのボードもあった。キュビズムを知らない人のためだろう。ちなみに、キュビズムとは、‘Cube’(立方体)から派生した言葉で、日本語では「立体派」と訳されるらしい。

結論を先に言えば、この展覧会は僕にとってなかなか満足のいくものだった。 というのは、まず、どの作品にも50センチくらい手前の床上にテープが貼ってあるか、あるいは低い柵がしつらえてあるだけで、すべての作品を非常に間近にみられたからだ。副題が「境界なき対話」と銘打っているのも頷ける。上野にある美術館で、ガラスケースに入った作品を遠くから見て回るのとは大違いだ。
今日かけていったメガネは家の中用で、度が狂っていて、近くしかよく見えなかったので、助かった。

「アジアのキュビズム」ということで、主だったアジアの国々の作品を展示していた。もちろんインドネシアの画家の作品も多数あった。しかし、あえて難を言えば、アジア全域をカヴァーしているとはいえないことか。東南アジアでいえば、カンボジアやミャンマー、ラオス、ブルネイといった国々の芸術家の作品も見たかった。また、東アジアではモンゴルの作品がなく、南アジアはインドとスリランカしかなかった。ま、でもアジア全域の作品を一箇所に持ってこいということ自体、無理難題以外の何物でもないであろうから仕方がない。
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実は、冒頭のEさんは、実は非常に賢い人で、日本語も超うまい(現地の大学の先生たちよりも上と言われている)ので、彼女に「勉強しなくてもいいのよ」と言われてもイマイチピンとこないのだ(こんな冗談がいつでもすぐに出るのも、頭の回転のよさを窺わせる)。それにしても、ひと月に日本語の本を5冊以上読み、近代文学にいたっては森鴎外から夏目漱石までほぼすべて読破しているというから、アフォな僕はまったく頭が上がらない。トホホ

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2005-09-19 追記

この絵画展で、いちばん印象に残ったのは「バトゥ・パハッ川」(サイド・アハマド・ジャマル(マレーシア),1957年,油彩)という絵だ。
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「バトゥ・パハッ川」(カタログからスキャン、左端はうまく取れていません。)

おそらくこの絵は、キュビズムの範疇に入るとはいいにくいかもしれない。
しかし、僕の頭のなかでは、昭和初期の詩人、金子光晴の『マレー蘭印紀行』のなかに出てくる、バトパハ(=バトゥパハッ、マレー半島西海岸のまち)の鮮やかな描写↓と重なった。

「バトパハの街には、まず密林から放たれたこころの明るさがあった。井桁にぬけた街ずじの、袋小路も由緒もないこの新開の街は、赤甍と、漆喰の軒廊カキ・ルマのある家々でつゞいている。森や海からの風は、自由自在にこの街を吹きぬけてゆき、ひりつく緑や、粗暴な精力が街をとりかこんで、うち負かされることなく森々と繁っている。 (『マレー蘭印紀行』中公文庫,1978年.では55頁)」

僕は、バトゥパハには行ったことがない。是非訪れてみたい。
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by gonta_i | 2005-09-17 21:17 | インドネシア